校友紹介コーナー~第2回、栗山崇輝さん(昭和49年法学部政治学科卒)2016.01.01(金)
北九州支部のホームページを開くと、4枚の地元写真がスライドショー形式で流れ、最後の4番目に「新緑の平尾台」が紹介されております。今回の校友紹介コーナーにご登場いただいたのは、その平尾台でタクシー会社を経営しておられる平尾台観光タクシー株式会社の社長の栗山崇輝さん(昭和49年法学部政治学科卒)です。
『わが青春の同志社』と題して、同志社およびそこで出会った人々が栗山さんの人生に与えたものを熱く語っていただきました。
【わが青春の同志社】
世阿弥は、その著書「風姿花伝」において、若き日の稽古・修行から形成された持続的人格(アリストテレスはこれをエートスと呼んだ)が、その者の一生を形成すると述べています。その若き日こそ、私にとっては同志社であったと思っています。そして、私はこの青春の同志社から人生において、大事な三つの出会いを得ることができました。
その一つは、今年一月に逝去された大学の恩師との、次に、六十代後半になっても昔と変わらず続いている全国の学友との、そして、故徳永百合蔵先輩をはじめとする同志社校友会北九州支部の諸先輩・後輩の皆さんとの出会いです。
私は、外交史と国際政治学を学びたく政治学科を目指し受験勉強をしました。受験時代は、安田講堂の攻防・東大入試中止・よど号ハイジャック事件など全国の大学で全共闘運動が吹き荒れていました。第一志望は早稲田の政治学科でしたが、好きな政治学を学べるのであまり失望感もなく同志社へ、その後、母の弟である亡き叔父が、昭和16年法学部政治学科卒業ということを知り運命的な親しみを感じました。それから、入学式のない入学後も学生運動は激しく、内ゲバ・学園封鎖の連続でした。しかも、その時代に政治学を目指す学生たちのクラスですからその環境たるや推して知るべし。しかし、個々人は皆まじめで情熱的で学問好きな精鋭でした。
そのような彼らとやりあってるうちに、気付いたら三回生のゼミは政治思想哲学を専攻していました。ゼミの先生は、戦後の政治学の第一人者の丸山真男の師事を受け、その著書岩波新書の「知識人と政治」で、中央公論の吉野作蔵賞を受賞した政治学のトップクラスの学者でした。ゼミの授業はワイマール時代からナチズムの台頭までの真摯な講義でしたが、ゼミ終了後はレストランで閉店時間過ぎまで先生からビールをご馳走になりながら、マックス・ウエーバーそしてワイマール時代のトマス・マンやハンナ・アーレントについて、語り合ったことが懐かしくてたまりません。私たちゼミ生は、今でもあの今出川キャンパスで、最高レベルの学問ができたと自負しています。
卒業後も、二年に一度は下鴨南芝町の先生宅を訪ねました(自称「メッカ詣」)。晩年は家族付き合いをさせていただきました。一昨年の十二月、校友会北九州支部の総会でも講演をした、大手ビール会社で副社長を勤めた後輩と訪ねたのが最後の別れとなりました。
洛北の 小春日和に 師を訪ね 学恩ふるえ その手を握る
また、敬愛する徳永先輩は、今出川キャンパスの北側相国寺に眠っています。その墓標には、「この地で学び この地を愛し この地で眠る」と、刻まれています。徳永先輩の人生も、青春の同志社で培われたのではないでしょうか。
私は、わが青春を同志社で学んだことを誇りに思っています。今後も、世阿弥の説いた若き日に培われたエートスを大事にして人生を形成していく所存です。
法学部政治学科 脇ゼミ
1974年卒 栗山 崇輝
(注)「校友紹介コーナー」へ寄稿していただいたのは平成27年12月となっております。
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次の写真の上段は、2012年10月の北九州支部総会時のもので、3期6年支部長を務められた山崎さんへの労い・感謝の言葉を贈られる栗山さん。下段の写真は、2013年9月に開催された金曜フォーラム(ウェルカム&音楽)時のもので、開催日が偶然にも栗山さんの誕生日ということで、マリンバ演奏家の島田さん(同志社女子大OG)から「Happy birth Day」の曲のプレゼントがあり、その際のツーショットです。
栗山さんには、校友会北九州支部の監事をやっていただいております。校友会のイベントの際に、常に場を盛り上げていただくなど、非常に面倒見の良い先輩です。また、福岡県タクシー業界の年金基金の理事長の経歴をお持ちで、昨年5月に社会保険労務士の資格を取得されるなど、自己研鑽意欲の高い、尊敬できる先輩でもあります。
新春第一弾となる今回の「校友紹介コーナー」に対して、非常にアカデミックな原稿を作成していただき、誠にありがとうございました。